すきなたべものについてのはなし

 

僕はおいしいものを食べることが大好きだ。
そもそもおいしいものを食べることが嫌いな人類はいないのではないだろうか。
最近はGoogle Mapsのピン機能を使って、「行きたい」「行った」「殿堂入り」のようにラベルごとにお気に入りの店舗を管理するようにしている。

その中でも、以前馴染みが好きだという話でも書いたとおり、昔からお世話になっているお店を再訪することもままある。
特に福岡に戻ってきたこともあり、大学時代によく訪れていた店舗に足を運ぶことが増えた。

久々に行ったお気に入りのお店で、昔自分が好きだったメニューをオーダーして、心を踊らせながら提供されるのを今か今かと待つわけだ。
待っている間、当時のことを思い出し、何とも言えない感慨深い気持ちを噛み締める。それは大抵の場合、悪友との他愛ない会話だったり、甘酸っぱい気持ちだったり、ほろ苦い思い出だったりする。悪くない時間だ。
いよいよ料理が運ばれ、あの頃と変わらない盛り付けが視覚を刺激し、食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐった瞬間、僕のテンションは最高潮に達する。
約束された味を想像し、待ちきれず口に入れ、噛み締めた瞬間こう思うのだ。

「あれっ?」

確かに味はおいしい。懐かしい味がする。
だがこれはあのとき食べたあの味だろうか?
あのときはもっと感動的な味だったのではないだろうか?と。

一店舗だけなら味が変わったのだと感じるだろう。
全ての店舗でそう感じるのであれば僕の味覚が変わったのだと得心もしよう。

だが、そうではないのだ。
昔のままおいしいと感じるお店もあるし、おいしいけど何が何でも再訪したいと思うほどではないなと感じるお店もある。
なんでだろう、と考えた。

確かに10年も経てば自分の味覚も変わって、おいしいと感じるものが移ろいゆくだろう。
思い出という名のスパイスが、味付けを何段階も上のものに昇格させているかもしれない。
お店のキャストが変わったり、店主の味覚が変わったりして残念ながら求める味ではなくなっていることもあるかもしれない。

未だにこの疑問に対しての答えは出ていないが、最近味が期待していたものと違ってしょんぼりする(お店のかたに対して大変失礼な物言いであることは承知しているが)ことが何回かあったので言語化してみた。

やはり自分が好きなお店、馴染みのお店には定期的に通うのがいいのかなと思った。