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人生で初めて沖縄に行った話

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それはこんな始まり 〜 沖縄に行こうと思ったきっかけ ふと立ち寄ったスシローでピーチ航空の「 旅くじ 」なるものを見つけたのがきっかけ。 戯れで引いてみたところ、旅先に沖縄が指定されたためこれは沖縄に呼ばれているなと思い、旅に出ることを決意した。 一緒に寿司を食べに来ていた社の後輩Gも巻き込み、沖縄旅行プロジェクトが立ち上がったのだった。 後日社の先輩Dも誘い、最終的に3人で旅行に行くことになった。 生まれてこのかた沖縄を訪れたことがなかったため非常に楽しみな旅程となった。 一日目 〜 オンスケ?なにそれ? 時間感覚が壊れてしまい、なぜか自宅から空港まで15分で着くと思い込んでおりタクシーを使って移動することになってしまった。 発券の時間には間に合わなかったが、搭乗時間にはギリギリ滑り込むことができた。 後輩Gと一緒にチケットを取っていたため、彼が発券していれば間に合ったのだが、運の悪いことにそちらも間に合わず、ピーチ航空での移動を諦めANAで取り直した。 思わぬ出費となってしまったが、お互い笑って済ませられる関係性だったのでよかった。 ともすれば険悪な雰囲気になるようなインシデントだったが、こういうイベントがあったほうが後から思い出になると思う。 そういう意味では価値観が似ていてよかったと思う。 ちなみに先に旅立った先輩Dのほうが後で着くというハプニングもあった。 めんそーれ! 沖縄に着いてからは、同僚Hに誕生日プレゼントとしてもらった自撮り棒が大活躍した。 周りから見たらただの浮かれポンチであること請け合いなのだが、旅の恥はかき捨てと言うし楽しまないと損な気がしたので問題ないだろう。 便利な自撮り棒 合流してからはかねてから食べたいと思っていた沖縄そばのお店「 亀かめそば 」へ。 端的に言って美味しすぎてトんだ。 よもぎ(ふーちばーと言うらしい)を入れると味が変わってまた違った味わいを楽しむことができた。よもぎの新たな可能性を感じた一食だった。 また、コーレーグース(島とうがらしの泡盛漬け)をちょこっと回しかけて食べたのだが、これがまた美味しかった。 入れすぎると普通に酔うので注意が必要。 最高の一杯 その後、一旦ホテルでチェックインを済ませ国際通りへ。 観光しつつ物色していると浮かれポンチなサングラスを見つけたので即購入。 沖縄は日差しが強いのでサングラスは必

アルジャーノンに花束を

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先日、「アルジャーノンに花束を」を読了した。 前から良書であることは知っていたが、沖縄旅行の移動中に読もうと思って、電子書籍で購入した。 内容は今さら語るまでもないかもしれないが、ざっくりと言うと「知能を向上させる臨床実験の被験者として選ばれた知的障害を持つ青年(奇しくも僕と同じ年齢であった)が、IQが飛躍的に向上する前と後の経過を、本人の報告日誌を読む形で追体験していく」というものだった。 ちなみにアルジャーノンというのは主人公の名前ではなく、主人公(チャーリイ)に先んじて臨床実験を受けたネズミの名前である。 IQが急激に向上したために精神が追いつかず、そのギャップに悩まされる過程が鮮やかに、かつ残酷に描かれており、まるで自分のことのように孤独感や苦悩が押し寄せてきて、色々と心が抉られる思いだった。 だが読了後は「ああチャーリイ、君は救われたんだね」というおかしな感情が湧き上がり、心にぽっかりと穴が空いたような、それでいて満たされたような奇妙な気持ちになった。 内容についてはこれから読む方もいると思うので言及は避けるが、誰しも多かれ少なかれチャーリイの部分を持ち合わせていると思っていて、それを鮮明に描いたダニエル・キイス氏の手腕には終始驚かされてばかりだった。 特に知能が高まるにつれて今まで見えていなかった具合の悪いことや不都合な真実が見えてきて、段々と生きづらさを感じていく過程はなかなかにくるものがあった。 と同時に、蓄積されていく経験が増えれば増えるほど物事の判断の精度は上がっていくが、結果がある程度予測されてしまうことによって、それそのものが判断を鈍らせる原因となったり、挑戦をやめてしまったり、本来は色鮮やかなはずの体験が色褪せてしまったりと、悪影響を及ぼすファクターになるのではないかとも思った。 (似たような話として、失敗することを恐れるあまり何もできなくなるという旨の話を「 失敗するチャンス 」でも書いたのでよかったら読んでいただきたい。) これは最近自分自身でもぼんやりと「経験という名の悪意が人生から彩りを奪っているのではないか」と考えていたところだったので、見つめ直すいい機会になった。 もちろん、経験はその人一人ひとりにとってかけがえのない知的財産であるため、最大限大切にしていきたいとは思うが、経験によって「やらない」判断を下すことを意図的に遠ざけ、

17歳と180ヶ月を迎えた

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はじめに こんにちは。そろそろ17歳JKキャラがつらくなってきたtositeと申します。 でも概念としてはJKでいたい、そんな思春期の学生のような二律背反したモラトリアムを甘受したい今日この頃です。 最近はコロナも少し落ち着いてきて、徐々に新様式とは言え制限の少ない世界になってきつつあるのかなと思いますが、毎年恒例の振り返りをつらつらとしたためていこうと思います。 去年のKPT ブログを作り変える 本ブログに転生させることができました 結構自分なりには記事も書けていていい感じ 継続的にやっていきたい 丁寧な暮らしをする なんとか人間らしい暮らしはできています 最近料理が手抜きになりつつあるので頑張ろうと思いました でも「物を増やさないようにする」ミッションは達成できていない模様 トレーニングを始める ダイエットを始めたこともあり食生活には気をつけるようになりました 大濠公園を走ったり、登山したり 健康的な生活はできているんじゃないでしょうか スキルアップ 進捗だめです・・・ 周りでSEO検定受けてたりする方がいるから今年は何か資格を取りたいと思っています 今年のテーマ 今年は「やらないことをやる」をテーマに生きていきたいと思っています。 長い人生、やりたいことはたくさんあります。 慣習化していて惰性でやり続けていることもあるでしょう。 あるいは「やらなきゃいけない」というある種の強迫観念に追われることもあるかもしれません。 人間17年と180ヶ月も生きていると、色々な常識という名の偏見に囚われることもあるもので、どうやら僕はそういった「やらなければならないこと」に気づけば雁字搦めになっていたように思います。 例えばそれは私生活だったり、生き方だったり、思想だったり。 あるときふと、色んなものを持ちすぎていて気づけば身動きが取れなくなっていることに気づいたので、今年は意識的にやらないことや、自分の中の凝り固まった固定観念を見つけて削ぎ落としていく作業をしようと思っています。 特に「もういい歳なのだからバカをやってはいけない」という意識を捨てるようにしました。 その結果の一つが ママチャリで志賀島までポタリングする というものなのですが、なかなかどうして高揚感に包まれた楽しい時間だったので、積極的にバカをやっていこうと思っています。 もちろん、人様に迷惑をかけない範囲で

すきなたべものについてのはなし

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  僕はおいしいものを食べることが大好きだ。 そもそもおいしいものを食べることが嫌いな人類はいないのではないだろうか。 最近はGoogle Mapsのピン機能を使って、「行きたい」「行った」「殿堂入り」のようにラベルごとにお気に入りの店舗を管理するようにしている。 その中でも、以前 馴染みが好きだという話 でも書いたとおり、昔からお世話になっているお店を再訪することもままある。 特に福岡に戻ってきたこともあり、大学時代によく訪れていた店舗に足を運ぶことが増えた。 久々に行ったお気に入りのお店で、昔自分が好きだったメニューをオーダーして、心を踊らせながら提供されるのを今か今かと待つわけだ。 待っている間、当時のことを思い出し、何とも言えない感慨深い気持ちを噛み締める。それは大抵の場合、悪友との他愛ない会話だったり、甘酸っぱい気持ちだったり、ほろ苦い思い出だったりする。悪くない時間だ。 いよいよ料理が運ばれ、あの頃と変わらない盛り付けが視覚を刺激し、食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐった瞬間、僕のテンションは最高潮に達する。 約束された味を想像し、待ちきれず口に入れ、噛み締めた瞬間こう思うのだ。 「あれっ?」 確かに味はおいしい。懐かしい味がする。 だがこれはあのとき食べたあの味だろうか? あのときはもっと感動的な味だったのではないだろうか?と。 一店舗だけなら味が変わったのだと感じるだろう。 全ての店舗でそう感じるのであれば僕の味覚が変わったのだと得心もしよう。 だが、そうではないのだ。 昔のままおいしいと感じるお店もあるし、おいしいけど何が何でも再訪したいと思うほどではないなと感じるお店もある。 なんでだろう、と考えた。 確かに10年も経てば自分の味覚も変わって、おいしいと感じるものが移ろいゆくだろう。 思い出という名のスパイスが、味付けを何段階も上のものに昇格させているかもしれない。 お店のキャストが変わったり、店主の味覚が変わったりして残念ながら求める味ではなくなっていることもあるかもしれない。 未だにこの疑問に対しての答えは出ていないが、最近味が期待していたものと違ってしょんぼりする(お店のかたに対して大変失礼な物言いであることは承知しているが)ことが何回かあったので言語化してみた。 やはり自分が好きなお店、馴染みのお店には定期的に通うのがいいのかなと思った。

ニーバーの祈り

 ニーバーの祈り なるものを知った。 神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。 変えるべきものを変える勇気を、 そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。 一日一日を生き、 この時をつねに喜びをもって受け入れ、 困難は平穏への道として受け入れさせてください。 これまでの私の考え方を捨て、 イエス・キリストがされたように、 この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。 あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。 そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。 アーメン 基本的には僕は何でも自分の手の届く範囲にあるものが好きだ。特に車なんかは自分で操作している感がほしくてMTに乗っている。 が、世の中には自分の力でコントロールできるものとできないものの二種類があると思う。 大樹を動かそうと躍起になって力を込めても疲れるだけなので、これからは変えられないものと変えるべきものを区別することに心を砕き、変えられないものについては穏やかに受け入れて行きたいと思う。 この辺は他人を変えることはできないが、自分が変わることはできるのと同じような話だと思う。自分自身がどういう状況下でストレスを感じるのかを把握し、適切に対処できるようになりたいと思った。

意図しない親孝行

 先日、 胃がんリスク検査を受けた話 でも書いたとおり、僕の体にはピロリ菌がいた。 しかもピロリ菌は母子感染する可能性が高いとのことで、子が感染している場合、親も感染していると思ったほうがいいとのこと。 ( 参考:  病気の話 杉並区医師会 【第16回】ピロリ菌について  ) これはまずいということで両親にピロリ菌の怖さを説くつもりだったが、両親の性格上、検査キットを自ら手配して取り寄せ、検査することはないだろうと思った。 そこで両親の分の検査キットを購入して郵送した(僕は会社が関東ITソフトウェア 健康保険組合に加入していたおかげで無料で受けることができた…本当にありがたい)。 それなりの費用になったが、家族の健康を守るためだと思えば是非もない。 結果的に両親ともにピロリ菌がいる可能性が高いとのことで、除菌治療を行うこととなった。 が、父のほうはそれ以外にも腫瘍のようなものが見つかり、そちらを治療しなければピロリ菌の除去ができないと診断されたそうだった。 私の祖父、父の父が胃がんで亡くなっているので、検査結果が出るまでは不安だったようだが、幸いにしてがんではなかったため、治療を進めつつピロリ菌の除去もできることになって一安心だった。 自分が受けた検査から思いがけず家族の健康を守ることができたので、意図せず親孝行ができて本当によかった。 人生にはいつか終わりが訪れることは普遍の理ではあるが、せめて両親にはその時がくるまで、健やかに余生を過ごしてもらいたいと思っている。

ドキュメントについてつらつらと考えたこと

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はじめに エンジニアリングをする中で「時間を取って後でドキュメントを書こう」と思う瞬間がある。 これは自分もたまにやってしまうことで、特にゾーンに入っている場合だったり、ガッと実装してしまったほうが早い場合だったりに起きているように思う。 しかしながら当然、ドキュメントを書かないことによる弊害というのも存在することは明白で、短期的に見るとスピードが出るのは間違いないのだが、長期的(と言っても状況によっては1ヶ月、2ヶ月と全然遠くない未来だったりする)に見て様々な問題が発生する。 ドキュメントがないことに対する弊害 例えば新機能の開発について考えてみる。 ドキュメントを整備しないまま実装した場合、実装した瞬間から「動いているものが正しい」状態になってしまう。仮にリリース前に仕様変更があった場合、ドキュメントがないと動いているものから仕様を読み解き、修正する必要があるかもしれない。 例として契約プランと契約年数で割引率が変わるロジックに手を加える場合、マトリクス表を一個書いておけば仕様把握は一瞬ででき、「パターンBをB'に変えたいんです」といった話がスムーズに行えるだろう。 だがマトリクス表がない場合はどうだろうか?どういう条件で分岐しているかコードリーディングした上でまとめ、どこをどうするか検討する必要が出てくるかもしれない。 この場合のコストは実装時にドキュメントを書くよりも工数が発生するように思うのは僕だけだろうか。 例えば新メンバーが加入した場合について考えてみる。 ドキュメントがないままオンボーディングするとなると毎回アーキテクチャやデータベース、システム構成について図を使って説明する必要があるだろう。 既存の仕様についても同様で、コードリーディングするかテストコードから挙動を追う必要があるかもしれない。 この辺りのキャッチアップは非常に時間がかかるもので、サービスが成長すればするほど、ドキュメントがない場合の工数は指数関数的に増えていくと思っている。 あるいはドメイン知識が浅いままに既存機能の修正を行った場合、考慮漏れが検知できず思わぬエンバグにつながるおそれもある(それを回避するためにコードレビューがあるが、コードレビューも万能ではないので)。 例えば既存機能の修正について考えてみる。 言わずもがなだが、ここがドキュメントがない弊害が一番大きく出る

ゴールデンウィークの話

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はじめに 今年のGWはコロナも多少なりを潜めている状況だったので、外出する人が多いと予想していた。 そのため近場で、かつ雑踏を避けられるようなアクティビティを中心に何かやりたいと考えていた。 元々自然が好きで登山に力を入れたいと思っていたところだったため、気候も丁度いいこの季節に色々やっておこうと思ったのがきっかけ。 また、バックパックはキャンプ用に60Lと80Lを持っていたが、日帰りにはあまりにも大きかったためこれを機に28Lを新調した。 それでも大きいと感じる場面もあったため、道具選びは難しい。 新調したいと思っていたバックパック。 MOUNTAIN HARDWARE というコロンビアの子会社メーカーで、一目惚れして購入。 立花山・三日月山 会社の同僚である @たにわき あきら さんと行った。 酒の席で戯れに「山でポートレート撮影したいね」と話していたことが実現した結果だが、とても楽しかった。 撮影してもらった写真を載せておくので、気が向いたらご覧ください。 大体6km程度の山行。 3つの山を縦走した。 立花山はクスの木が多く叢生しており、その大きさに驚かされる。 立花山からの風景。 香椎・海の中道が一望できる。 風が心地よかった。 解散してからは一人で薬師寺温泉で疲れを癒やした後、福津のほうにあるお気に入りの居酒屋へ。 5月中には同じ市内ではあるが移転するとのことだったので、一言お祝いを言いたいと思い顔を出しに行った。 前と変わらず、むしろ前よりもおいしくなっており、移転した後も定期的に顔を出したいと思った。 やはり僕は馴染みが好きなんだなぁ。 桜鯛の刺身。 身が甘く口触りがよい。 生野菜のサラダ。 こんなにおいしいサラダを食べたのは初めてだった。 大将の腕が光る。 おそらく豚のカシラの漬け焼き。 大事に食べるつもりが、おいしすぎてすぐなくなってしまったのが心残り。 油山 会社の同僚とライトな登山をしようという話になって油山にも行ってきた。 事前に調べたところ、初心者向けの負荷が低いコースだと聞いていたが、入る道を一本間違えて引き返す羽目になってしまった。 こういうのも登山の楽しみの一つではあるが、無理のないタイミングで引き返す勇気も必要だと思った。 途中で行って戻った形跡があるところが例の地点。 こちらはトータル5km程度。 道を間違えたからこそ見つ